各界からの
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木村友祐 / Yusuke Kimura / 小説家

我が身の幸福を願う以上に、他者の幸福のほうをより多く願う。
そのためにもがく若者たち。
また、そのためにこの映画は、真正面から「政治」を題材とした。
『息衝く』を観ながら、おれはこんな小説が書きたかったんだと全身がざわつき、高ぶり、軽い嫉妬をおぼえていた。
息ができない現代日本の空気感を生々しくとらえながら、それでも〝まっとうさ〟を希求する本作の純真なたたずまいに、胸打たれずにはいられない。

島田裕巳 / Hiromi Shimada / 宗教学者

親が新宗教の信者というのは、子どもにとっては厄介なことである。
だが、そうしたケースは少なくない。
さらに厄介なのは、両親が信者ではなく、片方だけが信仰していたり、信仰の違いで離別してしまったときだ。
子どもは生涯にわたって、信仰の問題に直面し、悩まなければならなくなる。
親と同じ信仰を持つのか、信仰ということ自体を徹底的に排除するのか。
ずっと冷静ではいられない。おまけに、経験がない人間には、この苦悩は理解してもらえない。
親と子と信仰。これは、三位一体の関係にある。そんな関係が成立してしまうのも、その背景には貧しさがあり、社会の矛盾があるからである。
社会は冷酷で、その矛盾を弱者に押し付けてくる。弱者は居場所を失って、新宗教に逃げ場を求める。
この映画に登場する「南無妙法蓮華経」の題目は、そして、題目を唱え続ける人々が作った組織は、果たして、そうした矛盾から人を救い出してくれるのだろうか。
それは、映画が提起する重要な課題だ。

瀬々敬久 / Takahisa Zeze / 映画監督

不在のヒーローにまつわる政治と闘争と宗教についての物語と流民の男女のラブストーリーがうまく融合されてないんじゃないかと最初は見ていたが、最終的にはそういうことはどうでも良くなった。
うまいとかヘタとか、よく出来てるとか失敗とか、そういうことは一切もはや関係なく、木村文洋の“うめき”みたいなものを感じた。それは今までになく感じた。
『へばの』の西山真来がラスト近く青森の光景の中に突如登場した瞬間、思わず落涙。
作品を股にかけ、人生を賭して、自分の主題を追求し続ける映画監督がまさにここにいる。そう確信した。

廣瀬純 / Jun Hirose / 批評家

『へばの』ではロングショット、『愛のゆくえ(仮)』ではミディアムショットがそれぞれ作品全体を支配するショット形態となっていた。前者では、六ヶ所村の風景のなかにつねにすでに投企された状態において若い男女を捉えること、後者では、長い逃亡潜伏生活を脱し外部へとおのれを再び開いていこうとする過程において恋人たちを捉えることが、それぞれ問題になっていたからだ。
『へばの』とディプティカをなす『息衝く』ではクロースアップが支配的ショット形態となっている。六ヶ所村のそれに対するオルタナティヴとして東京に見出されたロングショット、その下で青年たちが共に生き続けていくはずだったもうひとつのパースペクティヴは、トラヴェリングによって回復不能な過去へと押し流され、青年たちは個々に別々の狭いフレームのなかに収まることを余儀なくされている。
しかしどのクロースアップも完全には閉ざされていない。
それぞれの深奥で、ロングショットを希求する情熱がなおも息衝いているからだ。
木村文洋のクロースアップには、まだ存在しない大いなるロングショットへと再び踏み出される新たな一歩としてのミディアムショットのその萌芽が胚胎されているのだ。

福間健二 / Kenji Fukuma / 詩人・映画監督

130分、心を揺さぶられた。
そして映画をめぐる根本の問いをよみがえらせていた。
なぜ映画を作るのか。
映画は何ができるのか。
自分の問題と社会の問題は別のことではなく、生きることと映画を作ることも別のことではない。
『息衝く』の木村文洋は、そうであるためにはどうすればいいかを問いつづけながら、私たちの未来への視界を塞ごうとするものに全力でぶつかっている。

岡藤真依 / Mai Okafuji / 漫画家・イラストレーター

あなたはそれでいいのですか?自分だけが幸せでいいのですか?
息苦しくなるほど沢山 問いを投げかけられ、映画についてずっと考えてしまう。
この作品を観て、私の中の何かが変わったような気がしました。

先崎彰容 / Akinaka Senzaki / 日本大学教授

あの震災以降、どれだけの言葉が紡がれたのだろうか。
まず国を批判する言葉があった。
「再稼働反対!」と絶叫する言葉もあった。
国会前は騒然となり、高らかな声が夜の街灯を震わし、また青空に吸い込まれる日もあった。
だが、私の心を動かす言葉は何一つなかった。
なぜか。
全ての言葉が、私の生活の水準線より一ミリ高かったからだ。
「社会問題を考える」とは、今、踏みしめている生活を離れてはあり得ない。
私という、このかけがえのない、しかしどこにでもいる人間の日常の軌跡から外れた「大問題」など存在しない。
そうだ。
国家のあり方を考えるのに、詩人や英雄はいらない。
僕たちはもっと、散文的であらねばならぬ。
「息衝く」は、言葉ではない。
映像だ。
映像によって人の心を喚起し、考えさせ、言葉を生みだす力を与える。
もう十分に見るに値するではないか。
どこまでも暗い映像のその先に、イデオロギーの左右などぶち抜いた衝撃が襲ってくる。
市井を生きる者たちが、誰にも気づかれることなく抱えている不安・理想・挫折――
掛け値なしに、この作品は、私たちに寄り添っている。

信田さよ子 / Sayoko Nobuta / 臨床心理士

宗教、カルト、原発、家族といったテーマがこれでもかと詰め込まれている欲張りな映画である。
盆栽のように小さくまとまったり暴力を垂れ流す映画が多いなかで、そのスケールの大きさに久々に感動させられた。